Wunderkammer ** 司書の読書ブログ **

神戸で「なごやか読書会」を主催している羽の個人ブログです。

『中野京子の西洋奇譚』

人が奇譚を好むのは、本能ではないかと思う。科学や合理性で説明できない不思議な出来事は、危険への回避として、知っておきたいと思うからだ。そういう話は、細く長く語り継がれる。

中野京子の西洋奇譚』は、その名の通り、西洋の歴史や芸術に詳しい中野京子が、西洋の歴史奇譚を絵画などを交えながら紹介する随筆集。

 

印象に残った話を、ここでいくつか取り上げよう。


ハーメルンの笛吹き男」
時代:1284年
場所:ドイツのハーメルン
内容:ネズミの大群を処理する代わりに、市から報酬をもらう約束をした男がいた。男はネズミを追い出すが、市は約束の金額を出し渋り、男を町から追い出す。その年の6月26日、男は再び現れ、130人の子どもたちを連れてどこかへ行ってしまった話。消えた子どもたちが戻ってくることはなかった。f:id:nagoyakabc:20210826105403j:image

左が笛吹き男、真ん中下にハーメルン市、右上に笛を吹きながら子どもたちを山へ連れていく様子が描かれている。

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「マンドラゴラ」
時代:紀元前14世紀頃〜
場所:地中海沿岸から中国西部にかけて
内容:マンドラゴラ(マンドレイク)は有毒植物。食べると死に至る場合がある一方、麻薬剤や鎮痛・鎮静剤としての効果もある。ハリーポッターにも登場している。鉢から引き抜くと、甲高く耳障りな悲鳴を上げる植物を覚えていらっしゃる方も多いのではないか。この悲鳴を聞くと悶え死ぬとも言われている・・・

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「ブロッケン山の魔女集団」
時代:16世紀頃?
場所:ドイツ中央部
内容:年間平均260日は霧に包まれ、降雨量が多く、強風が吹き荒れる山、ブロッケン山。ここでは、山頂付近で、七色の光の輪の中に巨大な黒い妖怪が現れるという噂が立っていた。16世紀から17世紀にかけては魔女狩り最盛期。次第に、ブロッケン山の怪奇現象と、毎年4月30日の日没から5月1日未明にかけて、魔女たちが宴を催すという伝説の「ヴァルプルギスの夜(魔女の夜)」が結びつけられた。ゲーテの『ファウスト 第一部』には、ファウストがブロッケン山のヴァルプルギスの宴に参加するシーンが描写されている。
現在、怪異の謎はすでに解明され、「ブロッケン現象」という科学用語で説明されている。

 

「ドラキュラ」
時代:15世紀
場所:ルーマニア
内容:モデルは「ドラキュラ公」と呼ばれるワラキア公国の君主ヴラド3世(1431〜1476)だが、その頃はまだドラキュラは吸血鬼と結びついていなかった。ヴラド3世は捕虜の死体を串刺しにする残酷な君主だった。作家ブラム・ストーカーが『吸血鬼ドラキュラ』を書くにあたり、吸血鬼とドラキュラを紐付けた。そしてドラキュラのイメージは映画化によって全世界に広まっていった。

ブラン城(ドラキュラ城)
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貴種流離譚
時代:17世紀以降
場所:世界中
内容:「貴種流離譚」とは、「説話の一類型。若い神や英雄が他郷をさまよいさまざまな試練を克服し、その結果、神や尊い存在となったとするもの」(大辞林)で、民俗学者折口信夫命名した。17世紀後半のフランスでは、太陽王ルイ14世の指示で34年間幽閉されていたが、丁重に扱われ、衣食や楽器が与えられ、医師の診察も受けられたが、人前では仮面ないし絹のヴェールを強要されていた人物がいた。ルイ14生の双子の片割れ?異父兄?腹違いの兄?未だ謎に包まれたままである。
1825年には、ロシアの皇帝アレクサンドロス1世が旅先で47歳で亡くなった。11年後、60歳くらいの不審な男が発見された。過去を覚えておらず、旅券もなし、背中には鞭で打たれた跡。シベリアに追放されたその老人は、豊富な知識と賢明さから周りの尊敬を集め、生前のアレクサンドロス1世のようにフランス語も話せた。皇帝を知っている兵士が一見したところ「皇帝で間違いない」とのことだったが、老人は、覚えていない、そっとしておいてほしい、と・・・。彼は死ぬまで自分がアレクサンドロス1世であることに肯定も否定もしなかった。
1828年には、南ドイツでカスパー・ハウザーという名の少年が発見された。学者や医者や宗教家が研究し明らかにしたところによると、どうやら、長い間、地下牢に閉じ込められ、他人と接触せずに育った少年らしい。彼は、暗闇で物が見え、色も識別でき、鏡に映る像を実物と間違え、窓の外の風景を三次元と捉えられず、音や匂いに敏感だった。その後、支援者に引き取られ、教育を施され、知能は上がる。ある日、彼は何者かに襲われる。二度目の襲撃で、生命を落とす。実は、隣国のバーデン大公国では、カスパーと同じ年に生まれた赤ちゃんが夭折している。実は、誰かの命令で死んだ赤ちゃんとすり替えられ、育てられた少年がカスパーだったのでは・・・という説がある。権力争いに巻き込まれたわけだ。そして何か理由があって、カスパーを隣国に解き放たったのではないかと。

 

「コティングリー事件」
時代:1917年
場所:イギリス北部
内容:写真に映った妖精を、シャーロック・ホームズシリーズの生みの親、アーサー・コナン・ドイルが信じてしまった話。彼の父や叔父は妖精画家であり、また、純粋無垢な心をもっている者は妖精が見えると信じていたドイルは、子どもが撮った妖精の写真を「本物だ」と言い、1922年には『妖精物語 実在する妖精世界』という書物まで著している。この結末は、ぜひ本書を読んでほしい。なんとも微笑ましいエピソードである。

 

「ディアトロフ事件」
時代:1959年
場所:ソ連(現・ロシア)
内容:正直、これが一番怖かった。まだ世の中の人々にとって記憶に新しい、猟奇的な事件である。2月1日、9人の男女大学生と30代の元軍人の計10人が、地元で「死に山」と呼ばれている山に一泊する(大学生1人は体調不良のため同行せず)。彼らと連絡が取れなくなったため、2月下旬に山に捜索隊が入る。そこで、空っぽだが内部から切り裂かれているテントが発見される。そして、数百メートルから一キロ半離れた先で次々と遺体が発見される。打撲、火傷、頭蓋骨骨折、放射能被爆、舌がないなど、無惨な姿で・・・。この話はドニー・アイカーが『死に山』というタイトルで小説化し、2018年に邦訳されている。

 

古くからある慣習や風俗、信仰、伝説など、その地域に住む者の間で伝承されていたものを集めた奇譚集は、平凡な日常を大いに刺激してくれることでしょう。

 

紹介本:『中野京子の西洋奇譚中野京子

 

関連本:『ハーメルンの笛吹き男-伝説とその世界阿部謹也

 

ファウスト 第一部ゲーテ

 

吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー

 

妖精物語 実在する妖精世界アーサー・コナン・ドイル

妖精物語―実在する妖精世界 (TEN BOOKS)

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死に山』ドニー・アイカ