Wunderkammer ** 司書の読書ブログ **

神戸で「なごやか読書会」を主催している羽の個人ブログです。

『赤い十字』

前々回に紹介した本と同著者の『赤い十字』も良かったので、続けて紹介します。

舞台は二〇〇一年のベラルーシ
主人公のサーシャは、ある理由から、三〇歳を前にして人生の終わりを感じていた。

 

物語は、サーシャが新たな人生を始めるために、引っ越しをするところから始まる。
新しい部屋がある四階にあがると、入口ドアに「赤い十字」の落書きがあった。拭き取ろうとしていると、おばあさんが通りかかる。おばあさんは「赤い十字」を書いたのは自分で、「アルツハイマー」だからうちを見つける目印がほしかったと言う。

 

おばあさんはサーシャを自室に招き、昔語りを始める。
一九四〇年代のソ連第二次世界大戦前の殺伐とした世の中が目に浮かぶ。おばあさんは、外務人民委員部(ソ連外務省)で赤十字国際委員会からの電報を翻訳していた。赤十字から送られてきた「捕虜名簿」に、偶然、戦地にいる夫の名前を目にする。当時ソ連にとって、敵国の捕虜になることは、その一家の死を意味していた。おばあさんは生き延びるためにあることを計画するのだが・・・

 

半分ノンフィクションのような小説だった。というのも、本書に登場する資料はすべて実在するからだ。

 

サーシャ・フィリペンコは物語の設定がすばらしい。
『理不尽ゲーム』のときは昏睡状態の人物が出てきて、生きているのに眠らされている(つまり独裁政権に対して無力な)現在のベラルーシの人々に重ねられていた。

『赤い十字』のアルツハイマーのおばあさんは、記憶の喪失、つまり、歴史の忘却に対する比喩である。

 

こうして、小説という形式で、忘れ去られてしまう過去を知れるのはありがたい。そこからまたソ連の歴史や現在のロシアとベラルーシの関係などに興味が広がっていく。広島や長崎の原爆もそうだが、人間には語り継がねばならない歴史がある。

 

『戦争は女の顔をしていない』のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチも「真剣な作品を書く稀有な作家」と絶賛しているサーシャ・フィリペンコ。
今後も邦訳されるたびに読みたいと思う現代作家のうちの一人である。

 

紹介本:『赤い十字』サーシャ・フィリペンコ