『ある大学教員の日常と非日常』
海外旅行先のトラブルは避けることができない。
わたしもアテネの空港で乗り継ぎの便が予約できていないことがわかったり、ケルンのバスターミナルで乗る予定のバスが現れず結局乗れなかったり、マドリードで数万円をなくしたり、と、いくつもの失敗を重ねてきた。そのたびに一時的にテンションは下がるが、しばらくしたら目に入ってくるものに心を奪われていた。
「いろいろあったけれど、いい旅だった」
そう思えるような旅ばかりだ。
著者は大学のサバティカル休暇のため、ウィーン大学へ客員研究員として赴く。コロナ禍の2021年10月からウィーン大学で活動開始!
...のはずだった。
ウィーン滞在、コロナ禍の海外旅行、外国人研究員の招聘手続き(受入側)をわたしもしたことがあるので、著者の苦労が少しだけど分かる。
著者の場合、東京でのビザの発給、フライトの直前キャンセルなどのため、大変ややこしかったと思う。複雑な手続きを経て、ようやくビザ取得。
なのに、出国当日。羽田空港の出国審査カウンターで「無効のパスポート」をもってきたことがわかったときの、崖から急降下するような絶望感!!!(なぜビザ取得の段階で職員が気づかなかったのだろう...)
気を落としたものの、有効なパスポートでビザを取り直し、約2ヵ月後にウィーンの地に降り立った著者はすごい。
ウィーンの観光地巡り、オペラや美術鑑賞、グラーツやリンツやザルツブルク、スイス、ドイツ、ポーランドなど周辺への旅と、充実したサバティカル休暇の様子。
一方、アウシュヴィッツ強制収容所のツアーと、電車内にたくさんいたロシア系移民たちの姿は、現実は楽しいことばかりでないことを思い出させてくれた。
自閉症スペクトラムとADHDの診断を下されている著者は、ふだんから健常者よりも失敗が多い。そこで「障害者モード」で旅をするのだという。すると旅先での失敗を減らしたりパニックになることが減る。
大事なのは、失敗を恐れないこと。旅に失敗はつきものだと思えば心も軽い。それにトラブルのない旅行より、トラブルも含めた旅行のほうが思い出深い。
最近は様々な理由で海外旅行をするひとが減ったけれど、海外でしかできない経験はたくさんある。わたしは海外旅行が大好きだ。著者の海外旅行記を、これからも楽しみにしている。
紹介本:『ある大学教員の日常と非日常』横道誠
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同著者が2、30代の頃の世界周遊期。
『ジャクソンひとり』
直感でビビッときた本は大概おもしろい。本書も例にもれず、ここ最近読んだ小説の中で、ずば抜けていた。
主人公はアフリカと日本のミックスでゲイのジャクソン。彼は職場で、自分らしき人物のポルノ動画が出回っていることを知らされる。撮られた時の記憶はない。いや、うっすらあるような気もする。
ひょんなことからジャクソンは、ブラックミックスのゲイ三人と知り合う。顔立ちの似ている四人は、結束し、動画の出処を探る。同時に、互いになりすまし、ちょっとしたイタズラを実行する。肌の色が似ている。目鼻立ちが似ている。見た目で決めつける人間にささやかな復讐をするのだ。
読んでいてスカッとする反面、ジャクソンたちは、四人ではなく「ひとり」と認識されていることにも気づかされる。性格も私生活も何もかもが違う四人。でも、人々の記憶に残っているのは、ブラックミックスの男という点だけだから。
ぐいぐいと引き込まれるようなストーリー。無駄のない洗練された文章。描写は端的で、会話のキレも良く、他人の視線を浴びたときの心情や心の機微などの表現もとてもよかった。
本書は、ブラックミックスである安堂ホセさんのデビュー作。期待の新人を、今後も追いかけたい。
紹介本:『ジャクソンひとり』安堂ホセ
『顔のない遭難者たち』
「移民」と聞くと、暴力や迫害から逃れるために他国からやってきた人々が頭に浮かぶ。しかし、生きている人間だけが移民ではない。
二〇〇〇年から二〇一六年までに、少なくとも二万二千四百人が地中海を渡る途中で命を落とした。大半の遺体は、名もなき移民として扱われた。遺族たちは心待ちにしていた人々に会うことも、亡骸を見ることも叶わず、いまも心のどこかで、帰らぬ人を待ち続けている・・・
法医学者が扱う遺体の多くは、なんらかの犯罪の被害者が大半である。しかし、イタリアのラバノフ(犯罪人類学医科医学研究所)所長である法医学者の著者が目を向けたのは、アフリカや中東からヨーロッパを目指してやってくる移民たちの遺体だった。
地中海沿岸のイタリアでは、ヨーロッパの中でもとりわけ多くの遺体が流れ着く。本書では、二〇一三年十月三日にイタリア最南端の島で起きた「ランペドゥーザ」の悲劇と、二〇一五年四月十八日に約千人もの犠牲者を出した「バルコーネ」の事故が取り上げられている。
イタリアは後者の船の引き揚げを決定し、海軍、UCPS、消防隊、科学捜査班、シラクーザ県庁、特別機動隊、カターニア検察、シラクーザ県保険当局、赤十字軍事部門、大学、各種人道主義団体、そして著者の属するラバノフから成るメンバーたちが、日夜、移民の遺体をいっぱいに詰め込んだ船から遺体を回収し、冷凍、解凍して検死し、同定に必要な死-後(PM)データを集めた。
その結果、遺族から問い合わせがあった場合、遺体の写真を見たり、所持品の情報が合致したり、生前の遺伝子情報と一致する品といった死-前(AM)データがあれば、彼らがその事故で命を落としたことやお墓の場所などを伝えることができるようになった。
「移民たち」もわたしたちも、同じ権利をもっている。もしも、愛するひとが亡くなってしまったら・・・。きっと、一目でも最期の姿を見てから棺を閉じたいと思うだろう。亡骸がなければ、果たして心から故人を悼むことができるだろうか。
遺体に触れて、確かに死を確信できないことの苦しみを、今日の心理学では「曖昧な喪失(ambiguous loss)」と呼ぶ。現在、この「曖昧な喪失」状態の移民は、数え切れない。しかし、イタリアのように、死後のデータが保管してあれば、少なくとも亡くなったという事実だけは手に入れることができるようになる。
イタリアは移民の受け入れに積極的なだけでなく、ヨーロッパにたどり着く前に命を落とした人々のアイデンティティを取り戻す努力さえもしている。一方、日本はどうだろうか。難民の受入数ですら三桁台なのに、大量の移民の遺体を乗せた船が漂着したら・・・
生死の重みは、人類みな等しい。
命からがら自国を脱する人々のことを、日本人は遠目に眺めているだけではないか。必死の思いで逃げ出した人々について、その背景も含めて、改めて移民問題を考える必要がある。
参考:ランペドゥーザ島に住む少年と地中海を渡る移民たちの素晴らしい映画が二〇一七年に公開されている
紹介本:『顔のない遭難者たち』クリスティーナ・カッターネオ
関連本:『不自然な死因』リチャード・シェパード
法医学者による「不自然な死を遂げた人の遺体を解剖して死因を特定する」仕事を知りたい方にオススメ。文系でも読みやすい理系ノンフィクション。
『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』
舞台はミラノにある「カーザ・ヴェルディ」。イタリアを代表する作曲家ジュゼッペ・ヴェルディが建てた音楽家のための二階建て高齢者施設です。
Casaは「家」という意味で、カーザ・ヴェルディを直訳すると「ヴェルディの家」となります。正式名称はCasa di riposo per musicisti(音楽家のための高齢者施設)。イタリア語では高齢者施設のことを「憩いの家(Casa di riposo)」と言いますが、ここカーザ・ヴェルディもまさに憩いの家です。
入居できる人は限られており、元一流音楽家とその配偶者、そして近年では若手音楽家も最大16名まで入居できます。その若手音楽家のひとりとして2016年に入居したのが著者の藤田彩歌さん。
入居しているお年寄りたちは、さすが元一流音楽家だけあって、プライドが高く、自己主張も激しめ。食堂に集まるときは正装。相手に不満があれば面と向かってはっきり言います。
一方、綺麗に飾った部屋に招待してくれる方や、喜んで若手に個人レッスンをしてくれる元音楽家も多数います。
施設内には食堂や居間や教会のほか、練習室やコンサートホールまであり、音楽家たちにとって最高の環境でしょう。
外出は自由、料理の調味料に何をかけるかも自由、絵画やアクセサリー制作なども施設内ででき、何かあった時の責任は個人でとる主義のカーザ・ヴェルディ。
何かあれば施設側で責任をとらなければならないため、過保護になりがちな日本の老人ホームでは叶わないことばかりです。
わたしの祖母も以前、老人ホームに入っていました。しかし施設には段差がなく、入居数ヵ月後に会ったときには足腰が弱っていました。
カーザ・ヴェルディの食堂やコンサートホールは二階にあり、エレベーターでなく階段を使う方もいます。翌日の食事のメニューの希望は手書きで出します。しなければできなくなってしまうことが多いお年寄りにとって、足を使うことや字を書くことを、本人たちも望んでいること。過度な介助やバリアフリーは、自分自身の力で生きる力を弱めてしまいかねません。
人々が最期まで自分らしく生きていられる場所があるのは素敵だな、ヴェルディは後世に素晴らしい遺産を残してくれたな、と思える、とてもいい本でした。
紹介本:『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』藤田彩歌
『僕は死なない子育てをする』
突然だが、わたしは今、妊娠中である。
子育てについて情報収集をするなかで、育児本もよく読むようになった。そして「発達障害」をもつ「パパ」が書いた本に出会った。
人間は、就職、結婚、貯金、両家との関係維持、そして妊娠出産と順調にステップを踏んで、ようやく子育てに至る。
その一本道の途中を抜かしたり、その過程で社会や周囲の理解を得られない場合を考えてみよう。きっと一人で悩みを抱え込み、生きるのが辛くなるだろう。
二三歳で結婚し、二四歳で父親になった著者。夫婦仲が悪化し、別居寸前だった二六歳の時、発達障害が発覚した。一旦休職した職場に復帰したものの退職せざるを得ず、「いつか妻に借りを返したい」と考えていた。
のちに、劣悪な労働環境で働いていた保育士の妻も折れ、退職してしまう。
絶望的な状況下で、「夫婦は、どちらかが「主人」になる“主従”の関係ではなく、互いにサポートし、ケアし合う関係」に自然となっていった。
一時は崩壊寸前だった家族は、自分たち家族にとって大切なことは何かを見直すことで、再びチームになった。「死にたい」と思っていた著者は、「死ななくてよかった」と思えるようになった。
「現代の日本で“普通に”子育てをしていくのは難しい」と著者は言う。
誰もが自分の「父親像」「母親像」を思い描く。でもそんな周りが押し付けてくる/自分が理想とする像は壊してもいい。自分を追い詰めないで。死んだら楽になれると一瞬でも考えてしまったら、まずはゆっくり休もう。そう思えただけでも、この本を読む価値はあった。
わたしも子どもが生まれたら、自分が死なない子育てをしたい。
紹介本:『僕は死なない子育てをする』遠藤光太