Wunderkammer ** 司書の読書ブログ **

神戸で「なごやか読書会」を主催している羽の個人ブログです。

『医師が死を語るとき 脳外科医マーシュの自省』

奈良の宝山寺に行ったとき、立ち並ぶお地蔵さまが高い木々に囲まれていたのが美しかった。もし死んだら、木に生まれ変わりたい、とその時に思った。死んだ後、何かに生まれ変わりたいと思ったのは、それが初めてだった。

 

わたしたちの多くは、不吉な「死」を避けて生きている。無意識のうちに、「死」について考えることを遠ざけている。一方、「死」にまつわる恐ろしいニュースを熱心に読んでしまう心理が人間には備わっている。自分が同じような状況に陥った時のシュミレーションをし、危険回避の行動をとる準備をするためだと、どこかで読んだ記憶がある。

 

そんな「死」に、常日頃から直面しているのが脳外科医だ。老脳外科医マーシュはわたしたちに、穏やかな口調で、「死」について語る。

医師は、患者の手術に成功すれば崇められる。一方で、失敗に終われば先進国では訴えられ、途上国では脅されたり暴言を吐かれたりする。
だが、それは確率の問題だ。いつだって、100パーセント助かる見込みなどない。今すぐ悲惨な「死」を迎えるか、延命治療をして後日悲惨な「死」を迎えるか、二択の場合もある。ほとんどの患者は後者を選択する。

回復の見込みの少ない患者や、手術に成功したとしても重い障害が残る可能性が高い患者を助けて、彼らは幸せといえるだろうか?その誰かを世話するために、一日中サポートが必要になるとしたら、家族を苦しめるだけなのではないのか?マーシュはそう自問する。

脳は、人間の全能力を司る器官でもある。そこに損傷を受けた人間は、かつてのその人とは別人になる。視力を失ったり、喋られなくなったり、人格が変わったりする。

患者の家族から責められた老脳外科医は、本音を吐露する。
「こんな風に人から憎しみを向けられるのがどんなに辛いことか。間違ったことなど何もせず、最善策を尽くそうとしただけなんだからなおさらだ」。

 

脳外科医マーシュも、生まれ変わったら樫の葉や森であればいい、と願っていた。「死」は平等におとずれる。患者にも、医師にも。いくら見慣れている光景だとしても、医師は非情でも、「死」を恐れていないわけでもない。

わたしたちと同じ運命にある、老いゆく者として、心から溢れる思いが記された一冊だった。

 

紹介本:『医師が死を語るとき 老外科医マーシュの自省』ヘンリー・マーシュ

 

関連本:『イングリッシュネス 英国人のふるまいのルール』ケイト・フォックス

 

イギリス人の人類学者の著者ケイト・フォックスは、実はマーシュの奥さん。夫婦でベストセラー作家ってすごい。イギリス文化を知るための一冊。