Wunderkammer ** 司書の読書ブログ **

神戸で「なごやか読書会」を主催している羽の個人ブログです。

『顔のない遭難者たち』

「移民」と聞くと、暴力や迫害から逃れるために他国からやってきた人々が頭に浮かぶ。しかし、生きている人間だけが移民ではない。

二〇〇〇年から二〇一六年までに、少なくとも二万二千四百人が地中海を渡る途中で命を落とした。大半の遺体は、名もなき移民として扱われた。遺族たちは心待ちにしていた人々に会うことも、亡骸を見ることも叶わず、いまも心のどこかで、帰らぬ人を待ち続けている・・・

 

法医学者が扱う遺体の多くは、なんらかの犯罪の被害者が大半である。しかし、イタリアのラバノフ(犯罪人類学医科医学研究所)所長である法医学者の著者が目を向けたのは、アフリカや中東からヨーロッパを目指してやってくる移民たちの遺体だった。

 

地中海沿岸のイタリアでは、ヨーロッパの中でもとりわけ多くの遺体が流れ着く。本書では、二〇一三年十月三日にイタリア最南端の島で起きた「ランペドゥーザ」の悲劇と、二〇一五年四月十八日に約千人もの犠牲者を出した「バルコーネ」の事故が取り上げられている。

 

イタリアは後者の船の引き揚げを決定し、海軍、UCPS、消防隊、科学捜査班、シラクーザ県庁、特別機動隊、カターニア検察、シラクーザ県保険当局、赤十字軍事部門、大学、各種人道主義団体、そして著者の属するラバノフから成るメンバーたちが、日夜、移民の遺体をいっぱいに詰め込んだ船から遺体を回収し、冷凍、解凍して検死し、同定に必要な死-後(PM)データを集めた。

 

その結果、遺族から問い合わせがあった場合、遺体の写真を見たり、所持品の情報が合致したり、生前の遺伝子情報と一致する品といった死-前(AM)データがあれば、彼らがその事故で命を落としたことやお墓の場所などを伝えることができるようになった。

 

「移民たち」もわたしたちも、同じ権利をもっている。もしも、愛するひとが亡くなってしまったら・・・。きっと、一目でも最期の姿を見てから棺を閉じたいと思うだろう。亡骸がなければ、果たして心から故人を悼むことができるだろうか。

 

遺体に触れて、確かに死を確信できないことの苦しみを、今日の心理学では「曖昧な喪失(ambiguous loss)」と呼ぶ。現在、この「曖昧な喪失」状態の移民は、数え切れない。しかし、イタリアのように、死後のデータが保管してあれば、少なくとも亡くなったという事実だけは手に入れることができるようになる。

 

イタリアは移民の受け入れに積極的なだけでなく、ヨーロッパにたどり着く前に命を落とした人々のアイデンティティを取り戻す努力さえもしている。一方、日本はどうだろうか。難民の受入数ですら三桁台なのに、大量の移民の遺体を乗せた船が漂着したら・・・

 

生死の重みは、人類みな等しい。


命からがら自国を脱する人々のことを、日本人は遠目に眺めているだけではないか。必死の思いで逃げ出した人々について、その背景も含めて、改めて移民問題を考える必要がある。

 

参考:ランペドゥーザ島に住む少年と地中海を渡る移民たちの素晴らしい映画が二〇一七年に公開されている

紹介本:『顔のない遭難者たち』クリスティーナ・カッターネオ

関連本:『不自然な死因』リチャード・シェパード

法医学者による「不自然な死を遂げた人の遺体を解剖して死因を特定する」仕事を知りたい方にオススメ。文系でも読みやすい理系ノンフィクション。