Wunderkammer ** 司書の読書ブログ **

神戸で「なごやか読書会」を主催している羽の個人ブログです。

『SS将校のアームチェア』

点と点をつないで一本の線にする作業を目で追っているような読書体験をした。

著者がその話を聞いたのは、二〇一一年のことだった。


アムステルダムに住む親子が、自宅のアームチェアの張り替えを家具職人に依頼した。

数日後、受け取りに行くと、その家具職人は言い放った。ナチやその家族のために仕事はしない、と。椅子の座面には、ナチ時代の書類の束が縫い編まれており、ローベルト・グリージンガーという名前が記されていた。

親子は、グリージンガーという名前も書類の存在も知らず、寝耳に水だった。どうしてそれが椅子の中にあるのか、見当もつかなかった。
アームチェアは、一九六八年に母がプラハで購入し、長年愛用してきたものだった。ナチが隠した書類に気づかないまま、何十年も大事に使っていたのだ。

娘は、友人のつてを頼り、第二次世界大戦を研究する歴史家にその話をした。その歴史家は、グリージンガーのことを徹底的に調べた。本書は、その歴史家が書いた驚愕のノンフィクションである。

 

世界に壊滅的な被害を与えてから四分の三世紀以上たった今もなお、人々の関心を引くナチズム。

映画やドキュメンタリー、歴史書で取り上げられるのは、決まってヒトラーの側近だった一握りの党員だ。ナチズムの一端を担っていた下級官吏の名前は、歴史からだけでなく、親族の記憶からも抹消される。

グリージンガーは、まさにそんな無名の人物、忘れ去られてしまった人物のうちの一人だった。

しかし、そのような公式の記録には残らない人物の軌跡をたどれば、ナチについて新たな事実が浮かび上がってくるのではないか。

ゲスターポ(秘密警察)で働く法務官だった彼の人生を知ることは、ナチズムの台頭を、下級官吏がどのように感じていたかを理解する手がかりになるのではないか。

そう考えた著者は、親族へのインタビューや、文書館の史料や、現地への訪問を通して、グリージンガーの人生の軌跡をたどる。

 

ここまで徹底して調べ上げられたノンフィクションを読むのはなかなかハードだったが、著者がこの本を書き上げるのにかかった時間と労力を考えれば、とてもではないが流し読みなどできない。
時間と体力のあるときに、ぜひ読んでみてほしい。

 

紹介本:SS将校のアームチェア/ダニエル・リー

 

 

関連本:『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』/クリストファー・R・ブラウニング

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