Wunderkammer ** 司書の読書ブログ **

神戸で「なごやか読書会」を主催している羽の個人ブログです。

『私は男でフェミニストです』

著者「女性でもないのに、なんでフェミニズムを」

 

後輩「男だからよくわからないんです、学ばないと」

 

著者と、フェミニズムを学ぶ後輩との会話だ。その返答は、著者を目覚めさせた。自分も学ばなければならない、と思った。

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近年、ジェンダーギャップ指数、ジェンダー不平等指数、ガラスの天井指数の結果において、韓国と日本は似たり寄ったりだった。ところが、最近、韓国で声を上げる人たちが増えた。その声はかき消されることなく、海を渡った。そして、今わたしの手元にこの本がある。

 

家族のために、朝から晩まで家事や育児や仕事やそれら全部をこなす妻たちや、女性の管理職が少ない職場で働いていたり同僚の男性たちよりも低賃金で働かされていたりする女性たちは、その境遇に疑問を抱かない。それが当たり前だから。

 

そうだろうか。本当に当たり前なのだろうか。

 

本書は、立ち止まって考える時間を与えてくれる。「女性だから」という理由で受け入れているわたしたちが、もし間違っているとしたら?

 

女性の問題は、男性の意識を変えないと変わらない。だから著者のような男性のフェミニストが率先して、女性の気持ちを代弁してくれたり、支えてくれたりするのは、本当に心強い。 男性の言うことにしか耳を貸そうとしない人も、世の中にはいるから。

 

ぜひ、身近にいる男性に、この本を紹介してほしい。あなたの話に耳を傾けてくれる男性なら、きっと驚くはずだ。女性の友人がいることと、女性の人生を知ることとはまったく別だということに。あなたたち女性のことを、まだまだ理解できていなかったことに。

わたしは、フェミニストでもなんでもない。だけど、わたしみたいなフェミニストでもなんでもない女性たちが読むと、世界がひっくり返るような本である。少なくとも、価値観は大きくゆさぶられる。

 

紹介本:『私は男でフェミニストです』チェ・スンボム

関連本:『失われた賃金を求めて』イ・ミョンジョン

 

『私は男でフェミニストです』の巻末の「読書案内 男フェミのカリキュラム」で紹介されている本のうちの一冊。女性はどうして稼ぎが少ないのか、と疑問に思う人は、ぜひ読んでみよう。

『まとまらない言葉を生きる』

「今の自分の気持ちや状態をぴったり表す言葉をもっていない」

そんな風に思ったことが何度もあった。
愛想笑いばかりする自分、言葉の足りない自分が、嫌で、変えたくて、10代後半から「ない言葉」を漁るように本を読み始めた。

この本を読んで、そんな昔のことを唐突に思い出した。

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“たくさん「ある言葉」というのは目立つから、すぐに気がつきやすい。対して、「ない言葉」は見つけにくい。そもそも「ない」のだから、気がつきにくいのは当たり前だ。でも、そうした「ない」ものに想像力を働かせることも必要だ。”

 

SNS上には、人を侮辱したり、貶めたり、罵ったり、蔑んだりする言葉が溢れていて、わたしたちは日々、嫌でもそれを目にする。

自分の中に「ない言葉」を本気で探したいのならば、それはきっと、昔の文学作品の中だったり、普段出会わないような誰かの言葉の中にある。

 

「うまく言葉でまとめられないものの尊さ」というものにどうしようもなく惹かれ、なんとかそれを言葉で表したいと願う著者の思いがカタチになった『まとまらない言葉を生きる』という本。

過去のわたしのように、言葉のコップがからっぽだと感じる読者に、届くといいと願う。

 

紹介本:『まとまらない言葉を生きる』/荒井裕樹

 

『SS将校のアームチェア』

点と点をつないで一本の線にする作業を目で追っているような読書体験をした。

著者がその話を聞いたのは、二〇一一年のことだった。


アムステルダムに住む親子が、自宅のアームチェアの張り替えを家具職人に依頼した。

数日後、受け取りに行くと、その家具職人は言い放った。ナチやその家族のために仕事はしない、と。椅子の座面には、ナチ時代の書類の束が縫い編まれており、ローベルト・グリージンガーという名前が記されていた。

親子は、グリージンガーという名前も書類の存在も知らず、寝耳に水だった。どうしてそれが椅子の中にあるのか、見当もつかなかった。
アームチェアは、一九六八年に母がプラハで購入し、長年愛用してきたものだった。ナチが隠した書類に気づかないまま、何十年も大事に使っていたのだ。

娘は、友人のつてを頼り、第二次世界大戦を研究する歴史家にその話をした。その歴史家は、グリージンガーのことを徹底的に調べた。本書は、その歴史家が書いた驚愕のノンフィクションである。

 

世界に壊滅的な被害を与えてから四分の三世紀以上たった今もなお、人々の関心を引くナチズム。

映画やドキュメンタリー、歴史書で取り上げられるのは、決まってヒトラーの側近だった一握りの党員だ。ナチズムの一端を担っていた下級官吏の名前は、歴史からだけでなく、親族の記憶からも抹消される。

グリージンガーは、まさにそんな無名の人物、忘れ去られてしまった人物のうちの一人だった。

しかし、そのような公式の記録には残らない人物の軌跡をたどれば、ナチについて新たな事実が浮かび上がってくるのではないか。

ゲスターポ(秘密警察)で働く法務官だった彼の人生を知ることは、ナチズムの台頭を、下級官吏がどのように感じていたかを理解する手がかりになるのではないか。

そう考えた著者は、親族へのインタビューや、文書館の史料や、現地への訪問を通して、グリージンガーの人生の軌跡をたどる。

 

ここまで徹底して調べ上げられたノンフィクションを読むのはなかなかハードだったが、著者がこの本を書き上げるのにかかった時間と労力を考えれば、とてもではないが流し読みなどできない。
時間と体力のあるときに、ぜひ読んでみてほしい。

 

紹介本:SS将校のアームチェア/ダニエル・リー

 

 

関連本:『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』/クリストファー・R・ブラウニング

ナチの支配下で、平凡な市民が次々と殺人を犯した。その実態と心理とは?

 

『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』

2022年早々、すごいノンフィクションに出会ってしまった。

 

大学に行って人生が変わったというのはよくある話で、驚くほどのことでもない。しかし、タラの場合、大学に行くまでの道のりが、他の人たちと全く違っていた。

 

彼女は、高校まで一度も学校に通ったことがない。ホームスクールだったわけでもない。熱心なモルモン教徒の父が、学校を「政府が洗脳する場所」とみなし、子どもたちを学校へ通わせなかったからだ。

ウェストーバー家は、世間と断絶された暮らしをしていた。冬になると、雪が90センチも積もるような峡谷の中の一軒家で、父を中心に、政府を信用せず、世界の終わりに備えてコツコツと備蓄を増やしていた。子供たちは、学校へ通うことだけでなく、病院へ行くことも禁止されていた。

廃材置き場で父の仕事を手伝っている時、パイプが足に突き刺さり背中を強打したタラも、ズボンに燃え広がった火で片脚を失ったり、機械に挟まれて骨が見えるまで腕を切断された兄たちも、病院には行かせてもらえなかった。受けたのは、母のハーブ療法(ホメオパシー)のみだった。

先に家を出ていた兄や姉もいた。ある者は長距離トラックの運転手になり、ある者は農家に嫁ぎ、ある者は留置所に入っていた。唯一、兄のタイラーだけが、家を出て大学に進んでいた。

父の強固な思想に支配され、荒くれ者の兄ショーンに家庭内暴力を振るわれていたタラに、タイラーは助言する。俺と同じ大学に行くんだ、タラ。

「君の耳に自分の考えをふきこむ父さんから離れたら、世界は違って見えてくる」。

六四キロ先の最寄りの書店まで車を走らせ、テストの参考書を買ったが、全く解けなかった。それもそうだ。自宅学習なんてしていないも同然。唯一、覚えているのは、モールス信号だけ。

しかし、学業の神は彼女に味方した。受験勉強を始めてからは奇跡の連続だった。十数年前まで廃材置き場で働かされていた少女が、世界トップの大学で修士論文を書くまでになったのだ。


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本書に登場する教授の言葉を借りるなら、これは現代版『ピグマリオン』(映画「マイ・フェア・レディ」)だ。無教育の少女が教授に導かれて人生の道を切り開いていく姿は、まさに花売り娘のイライザの人生のよう。

教育とは、古い自分を捨てることだ。そして、今まで自分が持っていなかった言葉を持つことだ。自分と他者の考えの違いに気づき、違いを受け入れることができるようになるためには、複眼的な思考やものの見方が必要で、それらをタラは大学で学んだ。

タラは変わった。だが、両親は変わっていなかった。両親から見たら、タラは「裏切り者」だった。

両者の確執は、今も残ったままだという。 家族か教育か。タラの心はその狭間で揺れ動き、一方に振り切れなかった。質の高い教育を受けたい。いつかは家族とも和解したい。人間の本質的ともいえる切なる願いに、最後は胸が締め付けられた。

 

紹介本:『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』タラ・ウェストーバー

 

TIME誌が選ぶ「2021年の必読書100冊」

毎年発表されるTIME誌の必読書100冊。

今回は、2021年に選ばれた100冊のうち、日本語で読める本を取り上げます。

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①『ヘヴン川上未映子

いじめがテーマの小説。痛いところをつく言葉が印象に残っており、以下の二つの会話文の抜き書きが、今も手元にある。
➤「相手の立場に立って行動しろなんてことを言えるのは、そういう区別のない世界の住人だけだ。矛盾のない人間だけだ。でもさ、どこにそんな人間がいる?いないだろう?誰だって自分の都合でものを考えて、自分に都合よくふるまってるだけなんだよ。みんながそれぞれ自分の都合を邪魔されたくないために、そういう嘘をまき散らしてるだけなんだよ。そうだろ?自分がされたらいやなことなんてみんな平気でやってるじゃないか
➤「なあ、世界はさ、なんて言うかな、ひとつじゃないんだよ。みんながおなじように理解できるような、そんな都合のいいひとつの世界なんて、どこにもないんだよ。そういうふうに見えるときもあるけれど、それはただそんなふうに見えるというだけのことだ。みんな決定的に違う世界に生きてるんだよ。最初から最後まで。あとはそれの組み合わせでしかない
こういうグッとくるセリフは、読み返してみても、やはりいいなと思う。

-2022.4.7追記-

ブッカー国際賞の最終候補作に選ばれたとのニュースが。

Heaven

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②『クララとお日さまカズオ・イシグロ

まず、表紙が可愛い。歴代のカズオ・イシグロの邦訳本の中でも飛び抜けて可愛い。なので読みたいなと思いつつ、消化したい本が多すぎて、まだ手の届かないところにある。AIと人間の話ということしか知らない。TIMEの必読書に選ばれるくらいだから期待していいと思う。読むぞう。 

 

③『この世にたやすい仕事はない津村記久子

これを読んでおられる社会人の皆さまは、タイトルを見ただけで、うんうんと頷いているのではないだろうか。わたしも、あれほど嫌だった仕事を辞めて、新しい仕事を始めたのに「前のほうがよかった」って思ったし、結局どこに行っても仕事は大変なのだ。読んだことはないので、正確には分からないけど、たぶん転職を繰り返して、その先々で大変な思いをする話じゃないだろうか。ブログの記事には書かなかったが、津村さんの本は、『文芸ピープル』の中でも紹介されていた。多くの女性が社会進出をしている時代だからか、海外でもやはり「女性×仕事」の本はよく読まれるようだ。

 

*おまけ*

リストの洋書の中で1冊だけ「これは読んでみたい」と思った本がある。Amanda Gormanの詩集『Call Us What We Carry』だ。米バイデン大統領の就任式で朗読した「The Hill We Climb」が収録されているという本詩集は、“パンデミックと全国的な人種差別の反省を踏まえて書かれたもので、闘争と悲しみの中にも、より良い未来への希望が常にあることを思い出させてくれる。”とのこと。邦訳が待ちきれない。