Wunderkammer ** 司書の読書ブログ **

神戸で「なごやか読書会」を主催している羽の個人ブログです。

『テヘランでロリータを読む』

毎週木曜日の朝。大学教員の個人宅で「イスラーム共和国のクラスでは許されない自由をあたえてくれる特別なクラス」が開講された。

二十世紀の終わりに開かれたこの秘密の読書会では、大学教員のほか七人のイラン女性たちが、ナボコフヘンリー・ジェイムズ、オースティンについてざっくばらんに意見を交わす。

西洋的なものは退廃的と見なされ、イスラームの文化を堕落させる帝国主義的なものが禁じられた時代に、検閲官の目をのがれ、自由な服装で自由に文学について語る会。どれほど貴重な場だっただろう。

圧政から開放された女性たちは、作品について語り、作品を通して自分たちの胸の内も明かすようになる。

 

 

当時、イランの結婚最低年齢は九歳。売春は石打ちによる死刑。法律上、女性は男性の半分しか価値がなかった。

イスラーム共和国の女性たちは、西洋文学を好きなだけ読むことも、アイスクリームを食べることも、好きな服を着て好きな男性とデートをすることも、限りなく不可能に近かった。

テヘランでロリータを読む』こと自体、当局に拘束されかねない、とても危険な行為であった。だが、禁じられるとより惹かれるのは、人間の本能ではないだろうか。

 

ひっそりと暮らしているように見える、イラン女性たちの内面を率直に綴ったドキュメントを読み、思った。文学作品の解釈の仕方は実に多様だ、と。

少なくともわたしは『高慢と偏見』や『デイジー・ミラー』を、ひとむかし前の恋愛小説として楽しんだ。日本人と文化的・政治的な背景の異なるイラン人の目を通して読むと、同じ作品の別の面に光が当てられた。わたしたちはまったくちがう作品を読んでいるのではないかという気さえした。

 

 

異なる国の読書会をのぞくことは、わたしのような日本人だけで本の話をする会を開いている人間にとって、多様性が必要だと気付かされる機会にもなった。

わたしが主催しているなごやか読書会も、出身国に関係なく、だれでも参加しやすい読書会にしたい。日本でなら、他国で発禁処分になった本を読んで、公の場で語り合うことも可能だ。ふだん意識することのない思想や言論の自由をありがたく思えた。

 

紹介本:『テヘランでロリータを読む』アーザル・ナフィーシー

 

関連本:『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ

グレート・ギャツビースコット・フィッツジェラルド

『デイジー・ミラー』ヘンリー・ジェイムズ

高慢と偏見ジェイン・オースティン

テヘランでロリータを読む』の目次は

第一部「ロリータ」

第二部「ギャツビー」

第三部「ジェイムズ」

第四部「オースティン」

となっている。原作を読んだことがあるほうが、本書をより楽しめるのはまちがいない。

『ジンセイハ、オンガクデアル』

前半は『子どもたちの階級闘争』の前日談、後半は本・映画・音楽の話が掲載されている、ブレイディみかこ色の濃い一冊である。

わたしがはじめて読んだブレイディみかこの著書は『子どもたちの階級闘争』だった。英国の格差社会を保育士の目線で描いた傑作で、それまで日本の教育格差についての本しか読んでいなかったわたしは動揺した。 

 

本書や『子どもたちの〜』を読めば、それまで抱いていた華やかな英国のイメージは一転する。

彼女がボランティアをしていた底辺託児所では、アンダークラス出身、つまり家庭環境がよろしくない子が多い。それは親のせいというよりもむしろ、英国の政治のせいでもある。

 

政治が生活に直結しているというのは、日本に住んでいると感じづらい(特に若いひとは目隠しされているのか、楽観主義なだけなのか、投票率が低いのはそのせいではないかと思う)が、国の財政が圧迫されている時、まずはじめに削られるのは弱者に回すべき予算だというのは、どこの国でも変わらない。

 

日本であれば、出生率の低下が嘆かれているのに、その辺りのサポートが本当に少ない。

わたしも現在、妊娠中の身だが、初回の検診は自腹で約1万円かかり、出産予定費用は一時金では足りず、貯金を切り崩す必要がある。つわりが酷くて入院するひと、働くことがむずかしくなるひともいる。傷病手当が出るといえども、フルタイムで働いて稼げる額には及ばない。

出産でさえ、経済的に余裕がないと大変なのだ。

 


加えて円安、物価上昇。もし著者に質問できる機会があれば、いまの日本に希望はあるだろうか、と尋ねてみたい。

 

 

タイトルにある「オンガク」の話は、UKロックが好きなひとはうんうん頷きながら読めるだろう。詳しくは本書を。

 

紹介本:『ジンセイハ、オンガクデアル』ブレイディみかこ

 

同著者の『両手にトカレフ』も先月のブログで紹介しているのでぜひ。

『帰りたい』

帰りたいと思う瞬間は、誰にでもある。家族に会いたい、くつろぎたい、なんにせよ今ここにいたくない。だが、これほど強く「帰りたい」という言葉が胸に響く作品はいままでなかった。この世界の誰もが、帰りたい場所に帰れるわけではないのだ。

パキスタン系ブリティッシュムスリムの父親をもつ三きょうだい。かつて、父親はテロリストだった。彼は、ある日突然、家族のもとから消えてしまった。

姉はアメリカへ、妹は法律を学ぶ大学へ、弟はISへ入隊しシリアへ。人生の三叉路で別れてしまったきょうだい。その後、三人を待ち受けていたのは、悲劇だった...。

 

著者はパキスタン出身のイギリス在住者。パキスタンとイギリスの二重国籍をもつ。著者の経験や実際のニュースも織り交ぜられたこの作品には、細部にリアリティがある。たとえば、パキスタン系の移民の子孫がイギリスで官僚になる、ISを除隊したパキスタン系イギリス人が国家権力によってイギリス国籍を剥奪される、など。

 

日本国籍をもつ人ならまず経験しないようなことがテーマになっていて、世界にはまだ自分の知らないことが多いことを思い知らされた。ミステリー仕立てで、分厚いながらも読みやすく、小説の世界から「帰れない」のではと思うほど、のめりこんだ。

 

紹介本:『帰りたい』カミーラ・シャムジー

『妻はサバイバー』

新聞記者の著者が、長年にわたって介護した妻のことを綴ったノンフィクション。

結婚して3年後、妻29歳の時に摂食障害が発覚。過剰な食べ吐きを繰り返し、入退院を繰り返すようになる。性被害をきっかけに心療内科に通い始め、大量服薬でまたも入院。アルコールに依存するようになり、急性肝炎で入院。解離性障害精神科病院にも入院。さらに妻46歳で認知症が判明。

 

本書は、壮絶な人生を歩む妻のサバイバル記だ。妻は、寝るか吐くか飲むか「死ぬ」と叫ぶか。ふたりで笑い合うことも知的な会話もできず、激務の合間に妻を介護する生活に、著者自身も、心を壊してしまう。

 

わたしなら、他人に振り回される人生なんてまっぴらごめんだ。手に負えない他人の人生まで引き受ける自信はない。

 

しかし、著者は朝日新聞の記者を続けながら、常に妻の安否を気遣い、自身も精神科を受診するくらいダメージを受けながらも、懸命に妻を支えつづけた。いくら離婚が頭をよぎっても妻を見捨てなかった理由には、愛を上回るものがあったからなのかもしれない。

 

どれほど頑張っても精神疾患のひとの胸の内を理解することは不可能だと、わたしは思う。けれども、その家族や、そばにいて支えてあげるひとの心の中は、本書で感じることができる。当事者の思いが、心に強くうったえる。

 

子どもの頃に負った深い傷は、大人になってからもその人の心を蝕み続ける。妻は、奈落の底に何度も堕ち、どれほど自分を追い詰めようとも這い上がる。本当は死にたいのではなく、それでも生きたいのだ。当事者とその家族にしかわからない内面を明かしてくれた本だった。

 

紹介本:『妻はサバイバー』永田豊


関連本:『牧師、閉鎖病棟に入る』沼田和也

閉鎖病棟ではどのような人がどのように暮らしているのか、現役牧師の著者が入院することになった経緯や、退院した後の暮らしについてなど。

『JK、インドで常識ぶっ壊される』

日本に住んでいたら知らなかったこと、知らなくてもすんでいたことが、インドでたくさん突きつけられて、多感な時期にたくさん吸収するものがあったと思う。

肌の色の話。宗教。カースト制度。ドラッグ。スラムで暮らす子どもたちとの触れ合いを通して、子どもの権利に気づいたこと。

喉がうっと詰まるような話が多かった。それは、わたしもJKの頃、途上国の子どもの支援に興味を持っていた時期があったからで、もし同時期にインドに行っていたら似たような経験をしたのではないかと思ったからだ。

 

わたしが高校生の頃、職員室の前に貼ってあったJICAのポスターに、アフリカの子どもたちが映っていた。わたしはそれを見て「おなかがでてるから、本当はたくさん食べてるんじゃない?」と冗談まじりに言った。担任の先生が「飢餓状態だと、おなかがぽっこりするんだよ」と言った。

衝撃だった。おなかが出ているイコール肥満という、それまでのわたしの中の常識がぶっ壊された。それからわたしは、貧しい国の子どもたちを救えるなら、と、JICAのプログラムに参加したり、発展途上国の支援をしたりし始めた。

 

それから一年ほど経った頃、嫌いな塾の先生が、途上国に支援をしてもどうして貧しいままなのかを教えてくれた。


わたしたちがいくら途上国の人々のために募金をしたりしても、その国に届いたら政府関係者たちが取ってしまう。本当に届けなければならないひとには届かない。だから貧しいひとは貧しいままなのだという。途上国の大使館で働いたら(そういうものが懐に入るという意味なのか?)儲かるよ、と先生は言った。わたしはその先生をますます嫌った。わたしはそんな人間になるために、勉強しているのではない。
でも、いくら支援をしたとしても、途上国の貧困はなくならないのだ。事実、そこからわたしは募金も発展途上国の支援もパッタリ辞めた。

 

今思えば、自分の目で真実を確かめるべきだったと思う。他人の話を鵜呑みにせず。無力なのだと諦めてしまう前に。

『JK、インドで常識ぶっ壊される』は、「ああ、自分のように、世界は変わると信じている子がいる」と、十数年前に信じる心を失った自分を反省しつつ読み終えたのだった。

 

今回は自分語りが多くなってしまったため、内容をあまり紹介できなくてスミマセン。気になった方は、ぜひ手に取って読んでみてください。

 

紹介本:『JK、インドで常識ぶっ壊される』熊谷はるか

関連本:『三つ編み』レティシア・コロンバニ

インドの不可触民スミタ、シチリア文学少女ジュリア、カナダの弁護士サラ。三本の女性の話が、三つ編みのように交差する。インドのカーストの最底辺がどれほど虐げられているのか、本書を読むまで知らなかった。