Wunderkammer ** 司書の読書ブログ **

神戸で「なごやか読書会」を主催している羽の個人ブログです。

『北京の秋』

ユーモアあふれる奇想小説。差別的な発言をわきにおけば、登場人物への同情とくすっと笑いが止まらない。

ヴィアンは登場人物たちにいやがらせばかりする。

冒頭、ある男が会社行きのバス停で待っている。最初にきたバスは満席。二台目からは三人降りたのに「もともと定員オーバーだった」と乗せてもらえず。三台目のバスにはぶつけられて下敷きになり、起き上がる前にバスが行ってしまう。四台目は整理券を「拾ったもの」だと疑われ…。


始終こんな調子なので、にやにやしながら読んだ。

 

会社員、神父、三角関係の男女、外科医とインターン。どの登場人物も、ヴィアンにいやがらせをされた挙句、「エグゾポタミー」という架空の砂漠に連れてこられる。すべての登場人物が揃うと、長編のストーリーが幕を開ける。そこで全員がたずさわる鉄道事業がはじまる。

 

「エグゾポタミー」は、わたしたちの社会の縮図だ。たいした中身のない会議。無能なのに威張り散らかす上司。社員同士の恋愛のごたごた。人を助けた数より殺した数のほうが多い医師。お酒を飲み暴言を吐く神父。


やっかいな人間ばかりが集まった現場は、かろうじて維持されていた。だが、ひとつの大事なジェンガが抜き取られると、あれよという間に崩壊する。砂上の楼閣とはまさにこのこと。

 

 

それにしても、強い磁力で引き込まれる作品だ。ボリス・ヴィアンの筆力は、作中で表現される「音」や「擬人化」にも表れている。
『うたかたの日々』が好きな方は、ぜひ本書もよんでみてほしい。

 

紹介本:『北京の秋』ボリス・ヴィアン

関連本:『うたかたの日々』ボリス・ヴィアン

ボリス・ヴィアンの代表作の一つ。デューク・エリントンの曲を聴きながら読んだので、曲と言葉が一体となって流れ込んできて心地良かった。音色や音の長さによってリキュールや氷が調合されるというカクテルピアノを弾くシーン、出来上がったカクテルを飲むシーンが印象に残った。

『物語のカギ』

読書は好き。だけど、ストーリーを追うだけではもう楽しめない。

 

 

もしくは、どう解釈すればよいのかわからない物語がある。

 

 

もしくは、物語をすらりと読み解けない。

 

 

具体的にどういう点に注意を払って読めばいいのか知りたい。

 

 

そんなひとは手を挙げてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

挙手、ありがとう。

 

 

 

そんな悩める子羊たちに、救いの手をさしのべたい。

 

 

 

 

本書では、物語を読み解く38個のカギが掲載されている。全部知りたい方は書籍を読んでいただければと思う。

 

 

どんな内容なのかこっそり知りたい方のために、本書から盗んできたカギを10個紹介する。

 

 

 

  • 🗝①登場人物の誰に焦点を当てるのか?

主人公だけでなく、友人役や敵役、脇役などの視点で物語世界を眺めることで、新たな世界がひろがる。誰に焦点を当てるによって、まったく別のストーリーが浮かび上がる。

 

  • 🗝②語り手をうたがう

主人公の言葉を鵜呑みしていた。いつも自分を主人公に投影していたから、「信頼できない語り手」がいることを意識して読んだことがなかった。ストレートに読むとつまらない本が、主人公をうたがうことで輝きを帯びはじめる。

 

  • 🗝③その作品の舞台になった時代と書かれた時代の両方を押さえる。また、現代においてその作品がどのような意味をもつか考える

時代背景は解説を読んで知ることのほうが多いかもしれない。舞台になった時代と書かれた時代が隔たっていれば、その間に価値観の変化や歴史的認識の修正があることもある。

 

  • 🗝④より多くの読み方を引き出す

メタファー(比喩・暗喩)を読みとる。

 

  • 🗝⑤小道具に注目する。冒頭で出てきたものが最後にも出てくるなど

→「チェーホフの銃」という言葉を聞いたことがあるだろうか。冒頭で描写された銃が、結末で再び登場するように、何気ないアイテムが実は重要な意味をもっていることがある。何度もでてくるキーワードも注目に値する。

 

  • 🗝⑥物語に無意味な描写はない

→作者は何か意図があって、それを描いている。注意深い読者だけが気づくような何かを。

 

  • 🗝⑦結末まで読んだら、物語の頭に戻って、全体を考える

ブログや読書会で他人に紹介する時は、特にこの方法が有効。

 

  • 🗝⑧自分の人生を投影して鑑賞する

つまり、自分の人生や人生観を通して作品を読む。

 

正反対の性質をもつもの、主人公とその友人の性格が対照的であったり、敵と味方であったり、そういったものにまず注目する。そして、その相反するもの同士のなかにも共通するテーマがあるかどうか考える。

 

  • 🗝⑩作品内にある言葉や表現を手掛かりに、作中で語られていないものに注目する

不在の人物、わざと隠された手がかり、など。それが語られていないのはなぜか?を考える。

 


あたりまえのことだが、物語を鑑賞し、「面白かった!」「好き!」または「つまらなかった」「嫌い」という素朴な感想は大切だ。

 

 

物語を読む時は、社会科学、自然科学、人文科学、古今東西の思想、自分の経験、あらゆる感情を総動員しよう。カギを暗記するのではなく、物語を味わうために、他の物語を味わうことも大切だ。

 

 

この本で紹介されたカギを頭の片隅に置き、まずは物語をじっくり丁寧に読もう。

 

 

偶然、ピタリと当てはまるカギ穴を見つけられたあなたは、この上なくしあわせ者だ。

 

 

紹介本:『物語のカギ』渡辺祐真(スケザネ)

 

今週のお題「最近おもしろかった本」

『イスタンブールで青に溺れる』

カルト宗教を信仰する母に肉体的暴力を受けて育ち、学校ではいじめられ、京大院を卒業し、40歳で自閉スペクトラム症ADHDと診断されるという、異色の過去をもつ著者。

本書は、20代後半から30歳前後の彼の海外周航記である。

 

イスタンブールで青に溺れ、カサブランカで白い砂塵と化し、各地で音楽と文学をとめどなく連想する。

 


特に印象に残ったのは、モスクワ(ロシア)の章。


宗教的建築物は、横道さんが子どもの頃に受けたカルト宗教の教育を思い出させ、フラッシュバックを引き起こす「地獄行きのタイムマシン」だという。

そんな彼が最も興奮する宗教的建築物が、モスクワとその郊外の街にある。

 

生神女庇護大聖堂(通称:聖ヴァシーリー大聖堂)は、モスクワの赤の広場にある。緑と黄色、深紅と緑、青と白の巨大なソフトクリームのような塔がいくつも組み合わさった外見をしている。

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至聖三者セルギイ大修道院は、モスクワ近郊の街セルギエフ・ポサードにある、別の巨大ソフトクリームの束だ。こちらは白と青と黄金のソフトクリームだ。f:id:nagoyakabc:20221008202219j:image

日本や欧米やヨーロッパにはない形と色の組み合わせに胸がおどる。

 


モスクワは地上だけでなく、地下世界も幻想的だ。
地下鉄駅に行くには、エスカレーターでとても深く潜る必要がある。そこが核攻撃に対するシェルターとして兼用することが想定されているためだ。

コムソモーリス駅やタガンスカヤ駅の内装は宮殿のように美しい。

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当時はまだ診断されていなかった発達障害特有の症状を発症しながら世界中を旅した著者。

 

紀行文として楽しめる上に、いつも脳が働いているため疲れていて、身体の境界線もあいまい、その他諸々、当事者の生きづらさもよくわかる唯一無二の世界周航記だった。

 

紹介本:『イスタンブールで青に溺れる』横道誠

 

関連本:『死霊』埴谷雄高

カントの観念やドストエフスキーの言語空間に影響を受けた奇想小説。“虚體、自同律の不快、のっぺらぼう、過誤の宇宙史、死者の電話箱などの謎めいた単語が読者に提示されては、不明瞭なまま消えていく”という小説は、のちに旅先の横道さんを救うことになる。

今週のお題「最近おもしろかった本」

『テヘランでロリータを読む』

毎週木曜日の朝。大学教員の個人宅で「イスラーム共和国のクラスでは許されない自由をあたえてくれる特別なクラス」が開講された。

二十世紀の終わりに開かれたこの秘密の読書会では、大学教員のほか七人のイラン女性たちが、ナボコフヘンリー・ジェイムズ、オースティンについてざっくばらんに意見を交わす。

西洋的なものは退廃的と見なされ、イスラームの文化を堕落させる帝国主義的なものが禁じられた時代に、検閲官の目をのがれ、自由な服装で自由に文学について語る会。どれほど貴重な場だっただろう。

圧政から開放された女性たちは、作品について語り、作品を通して自分たちの胸の内も明かすようになる。

 

 

当時、イランの結婚最低年齢は九歳。売春は石打ちによる死刑。法律上、女性は男性の半分しか価値がなかった。

イスラーム共和国の女性たちは、西洋文学を好きなだけ読むことも、アイスクリームを食べることも、好きな服を着て好きな男性とデートをすることも、限りなく不可能に近かった。

テヘランでロリータを読む』こと自体、当局に拘束されかねない、とても危険な行為であった。だが、禁じられるとより惹かれるのは、人間の本能ではないだろうか。

 

ひっそりと暮らしているように見える、イラン女性たちの内面を率直に綴ったドキュメントを読み、思った。文学作品の解釈の仕方は実に多様だ、と。

少なくともわたしは『高慢と偏見』や『デイジー・ミラー』を、ひとむかし前の恋愛小説として楽しんだ。日本人と文化的・政治的な背景の異なるイラン人の目を通して読むと、同じ作品の別の面に光が当てられた。わたしたちはまったくちがう作品を読んでいるのではないかという気さえした。

 

 

異なる国の読書会をのぞくことは、わたしのような日本人だけで本の話をする会を開いている人間にとって、多様性が必要だと気付かされる機会にもなった。

わたしが主催しているなごやか読書会も、出身国に関係なく、だれでも参加しやすい読書会にしたい。日本でなら、他国で発禁処分になった本を読んで、公の場で語り合うことも可能だ。ふだん意識することのない思想や言論の自由をありがたく思えた。

 

紹介本:『テヘランでロリータを読む』アーザル・ナフィーシー

 

関連本:『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ

グレート・ギャツビースコット・フィッツジェラルド

『デイジー・ミラー』ヘンリー・ジェイムズ

高慢と偏見ジェイン・オースティン

テヘランでロリータを読む』の目次は

第一部「ロリータ」

第二部「ギャツビー」

第三部「ジェイムズ」

第四部「オースティン」

となっている。原作を読んだことがあるほうが、本書をより楽しめるのはまちがいない。

『ジンセイハ、オンガクデアル』

前半は『子どもたちの階級闘争』の前日談、後半は本・映画・音楽の話が掲載されている、ブレイディみかこ色の濃い一冊である。

わたしがはじめて読んだブレイディみかこの著書は『子どもたちの階級闘争』だった。英国の格差社会を保育士の目線で描いた傑作で、それまで日本の教育格差についての本しか読んでいなかったわたしは動揺した。 

 

本書や『子どもたちの〜』を読めば、それまで抱いていた華やかな英国のイメージは一転する。

彼女がボランティアをしていた底辺託児所では、アンダークラス出身、つまり家庭環境がよろしくない子が多い。それは親のせいというよりもむしろ、英国の政治のせいでもある。

 

政治が生活に直結しているというのは、日本に住んでいると感じづらい(特に若いひとは目隠しされているのか、楽観主義なだけなのか、投票率が低いのはそのせいではないかと思う)が、国の財政が圧迫されている時、まずはじめに削られるのは弱者に回すべき予算だというのは、どこの国でも変わらない。

 

日本であれば、出生率の低下が嘆かれているのに、その辺りのサポートが本当に少ない。

わたしも現在、妊娠中の身だが、初回の検診は自腹で約1万円かかり、出産予定費用は一時金では足りず、貯金を切り崩す必要がある。つわりが酷くて入院するひと、働くことがむずかしくなるひともいる。傷病手当が出るといえども、フルタイムで働いて稼げる額には及ばない。

出産でさえ、経済的に余裕がないと大変なのだ。

 


加えて円安、物価上昇。もし著者に質問できる機会があれば、いまの日本に希望はあるだろうか、と尋ねてみたい。

 

 

タイトルにある「オンガク」の話は、UKロックが好きなひとはうんうん頷きながら読めるだろう。詳しくは本書を。

 

紹介本:『ジンセイハ、オンガクデアル』ブレイディみかこ

 

同著者の『両手にトカレフ』も先月のブログで紹介しているのでぜひ。